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 令和3年03月12日掲載

〔 Vol.21 :「南西航空の歴史」その2 〕

 

前回のVol 20では、南西航空発足時の課題、機体の状況等を主体に説明しましたが、今回は、その後に沖縄が本土復帰し、日本の航空法及び慣習等が適用されることとなった以降の南西航空を見てみたいと思います。

離島空路等、飛行機が欠かせない沖縄特有の航空事情に対応している南西航空は、その後のJTAへの移行時を含め、私自身当時の航空行政の一角に携わっていた身から見れば、国内の他の大手航空会社等と比べても大いに勉強になる点が多い航空会社でした。

私が、最初に会社を訪問した1970年代初め、YS-11の整備ハンガーは米軍が使用していたもので、滑走路の反対の海側に自社ハンガーを建設中で、空港は、未だ米海軍(NAVY、 MARINES)の一部が駐留し使用していました。

南西航空の整備は発足時から日本航空と提携し、支援を受けていたことから、特にJTAへ移行した以降では、日本航空との共通事業機、リース機等の運用も多いことからも機体の基本塗装は日本航空似となっていますが、その変遷等も紹介します、また、沖縄離島路線に徹した琉球エアコミューター(RAC)は南西航空時代からの関連会社であり、それらの機体も紹介します。

 
❖ ボーイング737-200 23481/1241 JA8250 南西航空{1986年 ボーイングフィールド}
SWALが購入した737-200型の新造機で7番機です。シアトル、ボーイングフィールドでのデリバリー前の試験中で、この直後に那覇へフェリーされました。
 
❖ ボーイング737-200 23467/1245  JA8577 JTA{1997年 那覇空港}
1993年SWALがブラーテンズSAFE (Braathens S.F.A.E)から購入した737-200型の中古機で737型の10号機目です。 この機体の購入直後にJTA(1993.7.1日本トランスオーシャン航空)に社名変更となり、写真はJTA時代の初期塗装(歴代3代目)のキャンペーン機です。
 
❖ ボーイング737-400 26604/2684  JA8524  JTA{2001年 羽田空港}
737-400型は、JTAとなった1994年以降に導入され、現在では全て737-800型に機種変更されていますが、過去23機導入され、JTAでは最も多く使用された737型機です。
 
❖ NAMC YS-11A-200 2083 JA8794 SWAL{1975年 那覇空港}
SWAL及びJTAとして、YS-11型で最終フライト(1999年)をした機体です。
 
❖ NAMC YS-11A-200 2083 PP-CTL クルゼイロ航空{1968年 羽田空港}
前記のJA8794機は、南西航空がクルゼイロ航空から購入した機体で、写真は製造直後で、羽田からクルゼイロ向けブラジルへフェリー前の様子です。
 
❖ NAMC YS-11A-200 2165 N996CL (JA8778)(JTA){1997年 那覇空港}
前回紹介したJA8778 は1997年米国へ売却、米国籍となったフェリー直前です。この後はエア・カリビアン(9Y-TJB)で運航、2001年頃まで使用されました。
 
❖ デ・ハビランド・カナダDHC-6-300 410  JA8796 ばし 南西航空{1977年 那覇空港}
SWALが使用していたDHC-6 ツインオッター4機中の2番機で、このあとはRAC機となっています。
 
❖ デ・ハビランドカナダ DHC-6-300 356 JA8790 RAC{1997年 那覇空港}
南西航空が導入したDHC-6-300のツインオッターの初号機ですが、1992年以降はDHC-6の全ての路線がRACへ移管、機体も移籍されました。
 
❖ ブリテン・ノーマンBN-2B-26 Islander 2154 JA5281 RAC{1997年 那覇空港}
1986年RAC設立時に導入されたBN-2B アイランダーの初号機です。後方にRACの主要機だった売却直前のDHC-6と、この年に後継機として導入された直後のDHC-8が確認できます。 このBN-2Bも、この時期にシーザー塗装に変えて離島路線専用として2007年まで使用されました。その後は不定期運航会社エアードルフィンに売却されましたが翌年に経営破綻、機体登録も抹消されています。
 
❖ ボンバルデア DHC-8-100 Dash8  472  JA8972  RAC{1997年 那覇空港}
1997年からDHC-6の後継として導入したダッシュ8の初号機です。2017年に登録抹消し売却されましたが、塗装は最後まで、このシーサー塗装でした。
 

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