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前回のVol 20では、南西航空発足時の課題、機体の状況等を主体に説明しましたが、今回は、その後に沖縄が本土復帰し、日本の航空法及び慣習等が適用されることとなった以降の南西航空を見てみたいと思います。
離島空路等、飛行機が欠かせない沖縄特有の航空事情に対応している南西航空は、その後のJTAへの移行時を含め、私自身当時の航空行政の一角に携わっていた身から見れば、国内の他の大手航空会社等と比べても大いに勉強になる点が多い航空会社でした。
私が、最初に会社を訪問した1970年代初め、YS-11の整備ハンガーは米軍が使用していたもので、滑走路の反対の海側に自社ハンガーを建設中で、空港は、未だ米海軍(NAVY、 MARINES)の一部が駐留し使用していました。
南西航空の整備は発足時から日本航空と提携し、支援を受けていたことから、特にJTAへ移行した以降では、日本航空との共通事業機、リース機等の運用も多いことからも機体の基本塗装は日本航空似となっていますが、その変遷等も紹介します、また、沖縄離島路線に徹した琉球エアコミューター(RAC)は南西航空時代からの関連会社であり、それらの機体も紹介します。