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 平成30年08月13日掲載

〔 Vol.04 : B-52「その2」 〕

 

Vol.03 B-52の続きです。今あらためて国連での核兵器廃棄条約の批准が課題となっていますが、当時の核戦略の要であったB-52の歴史を知ることが必要と思います。この時代のB-52は、1962年のキューバ危機から、米ソが核戦争で最も緊張していた時期で、常時核爆弾を搭載した上空待機の任務があること等で、ピークは1965年のFairchild AFBで実施したConferenceでは、B-52の37飛行隊が参加したことでした。その後は、ベトナム戦等が始まったことで、B-52の任務も大きく変わっています。なお、1970年代以降のベトナム戦にも参加した、迷彩塗装のB-52は、別途改めて整理し紹介したいと思います。

 
❖ ボーイング B-52D 56-0618 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

1965.3横田の東側誘導路をR/W18へタキシングするB-52D型で、機首右側の大きな部隊マークから、当時(1963年~1968年)運用していた764th Bomb Squadron、461st Bomb Wing(Amarillo AFB TX )と分かりました。なお、この部隊は1966年以降、グアムのアンダーソンAFBの4133rd Bomb Wing (Provisional )に移動を開始し、1968年にAmarillo AFBは閉鎖され、民間空港(Rick Husband Amarillo International  Airport)となっています。

 
❖ ボーイングB-52D 56-0589 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

機種の部隊マークは92nd BW(Spokane AFB →Fairchild AFB、WA )の所属で、朝鮮戦争時にはB-29で派遣され、その後のB-36を経て、現在でもB-52による最も主要な部隊となっています。なお、このFairchild AFBの92BWは、1962年、最初にAtlasミサイルが配備された部隊で1965年に撤去されましたが、1965年3月のこの撮影時点では92nd SAW(Strategic Aerospace Wing)となっています。

 
❖ ボーイングB-52D 56-0618 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

1965.2横田のR/W36側から着陸したB-52Dです。手前に見えるネット状のバリアーは、当時横田で運用されていた、R/Wエンドに設置された非常制動用のバリアーで、オーバーランをした際、機体のギアがネットに引っ掛かり、手前に見える大型の鎖を引きずることで、制動させる装置です。最近では非常用のフック制動装置、エンドのバリアーとも油圧制動等となり、この確実で単純なものは使われていません。

 
❖ ボーイングB-52D 56-0585 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

機首の部隊マークは462nd SAW(Strategic Aerospace Wing)で、ワシントン州モーゼスレークのLarson AFB所属で、B-52及びKC-135、Titan 1ミサイルからなる部隊でしたが、1966年に基地も閉鎖されています。なお、この機体は、Edward基地のFlight Test Center Museum Airparkで展示されていました。

 
❖ ボーイングB-52D 55-0680 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

1965年6月横田R/W18からの着陸、92nd SAW所属のB-52D型です。

 

❖ ボーイングB-52D 56-0618 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

最後は、本項の1.2番目の項で紹介したB-52Dで、2機のタキシングです。前回の項で、横田からの高い離陸時の写真を公開しましたが、この写真はR/Wエンドでの離陸前の様子で、フラップは通常の着陸時と同じ位置まで、下げられています。膨大な爆弾搭載量と超長距離可能な燃料を搭載しない軽い状態では、8発のジェットエンジン出力の余裕で、フルフラップによる離陸が可能な様です。また、タキシング時の左右翼端位置にある補助車輪は、直進で風の影響等が無い場合は、地上に接地することはありませんが、少しターンを開始する際等は接地し、有効に使用されます。横田の誘導路幅等では、はみ出る可能性があり、制限を受けているようです。なお、現在運用しているB-52型は、2050年代まで使用される計画があり、その後に生産されたB-1及び、B-2は、2020年代後半で退役する予定となっています。

 

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